火焔樹の下で (No-2)    

2003年6月

寄稿 : 佐藤之彦さん 於:Singapore


「No. 1」「No. 3」「No. 4」「No. 5」 「No. 6」「No. 7」「No. 8」「No. 9」「No. 10」「No. 11」 「No. 12」「No. 13」「No. 14」


(風習)
  6月1日日曜日、きな臭い匂いに目を覚ました。何処から匂ってくるのか解らない。突然火事かと思い飛び起きた。部屋の窓からのぞくが全く火事の気配はしない。 玄関の扉を開けてみた。のどかな日曜日の朝である。時計を見るとまだ8時であった。しかし匂いは依然として強い。何となく外を眺めていると、モスクの壁に沢山の人が並んでいた。どうやら女性ばかりの様子。よく見ると体操の最中であった。マレーのご婦人達が日本のラジオ体操風の動作を繰り返していた。全員髪をスカーフに包みロングドレスがなんともエキゾチックに見えた。 匂いの元はどうやら階下から発生している様子であった。そこで気になって下りてみた。すると仏具屋の前の置かれた償却用のドラム缶を囲んで、数人の男女がお経を唱える様な雰囲気で一心不乱にイミテーションのお金を束のままくべていた。最近少しだけ挨拶を交わす様になった仏具屋の主人が店の中にいた。「彼らは何をしているの?今日は何の日?」すると主人が言った「毎月1日と15日は法事の日だから」。大体年に1-2回ある月初が日曜日の場合は多くの人々が墓参りをする。その代わり平日の1日はお年寄りとか暇な人々がこの法事を分担している。ところが日曜日の場合急用とかでお墓まで行けない人々はやむを得ず仏具屋で仮法事をするとの事であった。お金を燃やすのはかの地でご先祖が困らない様にとの供養かと思っていたら、少し日本と事情が違う事が解ってきた。単に供養だけではなく、あまり供養を怠ったり金額をケチるとご先祖が色々悪さをすると言うので、仕方が無く(?)やっているとも言われている。主人は言った「日本も同じだろう?」 大体この国の人々は迷信深い。マレー人の狐付きは一種の集団ヒステリーでその通り若い女性に伝染する。これが酷くなると企業活動の妨害になることが今でも頻発している。企業側はお金を払って狐払いの祈祷師を呼んで狐さんに出て行ってもらわざるをえなくなる。 中国人の大好きか大嫌いが幽霊で、この幽霊はいたるところに出没する。なんと言っても幽霊を見た人が沢山いるのが真実性を高くしている。そのせいか信心深い人も沢山いる。 あるいは19世紀の中国の土俗信仰がこの南洋で純粋培養されているのかもしれない。 一方「私はお金を得る為に神又は仏を信仰している」と明言した人を2人知っている。

(クレメンテイ-の生活)
私の住むアパートは公営住宅で全て分譲である。しかし分譲先の人間は厳しく選定されて転売も出来ない。ここの国民の90%は持ち家を持っており、その90%以上がこの様な公営アパートに住んでいる。公団は基本的に結婚した又は結婚登記をした夫婦に優先的売却する。更に子供が結婚し老夫婦の場合や離婚者や35歳以上の独身男性には2LDKを購入することが出来る様にしている。しかも1つの人種が固まらない様に公団は厳選する。無論外国人はオーナーにはなれない。しかしオーナーと同居し、オーナーの責任と管理を絶対条件に外国人の入居を認めている。最近のテロ情勢で外国人監視は厳しく、特に公団入居の外国人に関しては、隣人が6ヶ月おきに外人の動向を公団にレポートする様になっているとのこと。従い私とドリスは法律上同居している事になっている。その証しとしてオーナーが住む部屋と身の回りのものが私の住むところになければならない。 ドリスはこの問題を解決するため、彼女の使わなくなった靴とハイヒールを持ってきた。更に孫2人の50cm立方のプラスチック製おもちゃ箱をもって来た。 そして最近は週2回ほど掃除しに来ている。もっともこれは契約条件にも入っている。こちらも掃除は辛いし、ドリスも資産の汚れを防ぎたいので比較的簡単に同意した。 4月5月は学校が閉鎖されたため、毎回2人の孫をつれて掃除にやってきた。 そして5月の末に何故かイボンヌの亭主だけを残して、娘と孫2人を連れてスエーデンに旅立った。帰国は娘と孫が1月後、ドリスは早くて8月末との事だった。 その旅立ちの前、ドリスとその家族それにマーガレット夫婦で食事をした。 ブロック354と住所登記された私の住むアパートはコの字型でそれぞれの辺が100m位ある。そのコの字に囲まれてコーヒーショップ、あるいはキャンテイーン又はホッカ-センターとも呼ばれている飲食街がある。そこには間口1m位の料理屋が沢山集合している。早朝から深夜までどこかの店がかならず開いている。シンガポール人のほとんどが料理を作らず、ここに来て家族で食べるか出来上がったものを油紙に包んで持ち帰る。同様なものはシンガポール中どこにでもある。ただ都心部やオフィス街ではフードセンターと呼び名が変わるだけである。そこではありとあらゆる料理を食べることが出来るが、大系としては中国料理とマレー料理に別れ、インド料理はそのどちらでもメニューの中に入っている。値段は朝食や昼食が2-3ドル(130円-200円)で夜はビールを飲んで海鮮かカレー類を突っつくとビール代6ドル食べ物5ドルー10ドル位で日本円で1000円位である。酒類はビールだけが贅沢な不満であった。そのコーヒーショップに隣接して、小さな食肉野菜専門の市場があり、そこもやはり中国人の店とマレー人の店が完全に分かれている。事、食習慣に関してこの2民族の溝は絶対に超える事が出来ない様である。 それでもこの国では争いが起きない。それどころか食習慣でタブーが少ない多数派の中国人は積極的にマレー料理を食べる。特に人種混合の場合はマレー料理か海鮮料理になってしまう。ただ菜食主義の中国人が加わると食べ物の選択が100倍難しくなる。それに食物アレルギーの子供が加わると難しいなどと言える状況ですらなくなる。 まずマーガレットの亭主(キリスト教徒)が皆の飲み物を注文する。飲み物と一緒に半ダースのビールの缶が運ばれた。ところが誰もビールは飲まないと言う。これで私の主食だけは決まってしまった。ドリスは仏教徒の菜食主義で何故だか鶏卵だけは食べてもいいらしいさっさと自分用の菜食焼きそばを頼む。イボンヌの長男は卵アレルギーで野菜にも駄目なものが多い。妹は3歳になったがまだ口からゴム製乳首を離さない。亭主は宗派の違う仏教徒で神様は観音様らしい。当然牛は駄目。マーガレットの亭主は虚弱体質で魚と野菜系、イボンヌは必死のダイエット中、マーガレットは?何がだめなのか忘れてしまった。

(マレーシアとの確執)
元々1の国であった。その前も英国の植民地として1つだった。それがマレーシアとシンガポールと2つの国になったのは喧嘩別れであった。その時の確執がまだ両国に残っている。飲料水の供給問題から始まり、マラヤ鉄道の新しい駅の設置、航空機の航路、小島の領有権等々沢山の問題で両国は角を突き合わせている。特にシンガポール側にはマレーシア側の無理難題を何時も飲まされているとの被害者意識が強い シンガポールの実質的なオーナーであるリー前首相は歯に衣を被せずずばり問題の核心や、シンガポールの小国の将来を指し示すと、マレーシア側が差別的とか侮辱的と感情的に反発する。徐々に両国の関係が疎遠になりつつある。問題はマレーシアにとってはシンガポールがあろうが無かろうがどうでもいい問題であるのに対し、シンガポールにとっては絶対的にマレーシアという経済圏が必要なことであろう。そんなシンガポール人のわだかまりの中から生まれたと思われるジョークがある。原典は不明。 マレーシアのホテルでシンガポールの出張者がアメリカンブレークファストを食べていた。隣のテーブルにはマレーシア人のカップルが食事を終えたところであった。女性の方が席を立つと男性は退屈そうに辺りを見回しながらチュウインガムを口に入れた。クチャクチャと噛む音にシンガポール人が顔を向けるとお互いの目が合った。 「シンガポールから出張かね?」出張者がうなずくと、マレーシア人皮肉な顔をしながらクチャクチャとガムを噛み「あんたの国も大変だなあ、ガムも法律で禁止されたじゃないか」(クチャクチャ)「それに、なに?今度はトイレの水も洗浄して飲料水に使うらしいな? よくそんな水を飲むね」出張者が黙ってパンをかじると「ところでシンガポール人はパン全部食べるのかね?」「勿論」「ここマレーシアでは違うよ。俺達は耳を残してパンの中だけ食べるんだ。後でその耳を集めて洗浄し煮詰め発酵させてビールを作るんだ。それをシンガポールに運びビールを売るのさ。シンガポールではビールがマレーシアの倍の値段だから、そんなビールでも皆喜んで飲んでるぜ」(クチャクチャ)出張者は黙ってりんごを食べ始めた。「ところでシンガポールでは、りんごを全部食べちゃうかね?」「勿論」「ここマレーシアでは皮と芯は食べない。そしてそれを集めて洗浄し煮詰めてりんごジュースにしてシンガポールでうるんだな。そんなジュースでもトイレの水よりはましらしく皆喜んで飲んでくれるとさ。」 出張者はゆっくりと振り向いて男性に言った。「彼女美人ですね?奥さん?」「まさか ハッハッハ」「そうそれは羨ましい。やっぱりセックスもお強い?」「まあねえ 人並み以上かなハッハッハ」「防御されてまいすか?」「もちろん毎回必ずコンドームを使っているさ、病気は怖いからね」「使ったコンドームはどうされます?」「何言っているの、そんな汚いもの捨てるに決まっているじゃないの」「ところが我がシンガポールでは、使ったコンドームは捨てません。それを全部集めて洗浄しどろどろに解かしてからお砂糖を入れてチューインガムにし、ここマレーシアで売っています。よく売れてるそうです」