火焔樹の下で (No- 10)    

2004年10月

寄稿 : 佐藤之彦さん 於:Singapore


「No. 1」「No. 2」「No. 3」「No. 4」 「No. 5」「No. 6」「No. 7」「No. 8」 「No. 9」「No. 11」「No. 12」「No. 13」 「No. 14」


(エビ養殖場)
車は土煙をあげて白い土の坂道を2-3mほど登った。すると急に視界が開け1本の木もない禿げた大地が真昼の太陽に曝されて広がった。その登る前に予感したよりも殺伐な風景を車の中から眺めた。まず目に入ったのは剥き出しの大地に作られた人工池群で、およそ50m長さで20m幅の長方形の池が左右と前方の見渡す限りに並んでいた。池の水位は皆地上から1m程下にあった。これがエビ養殖の生簀なのだとすぐに知った。その生簀と生簀の間にはトラックが1台通れる幅の道が縦横にあった。2台の車はさらにすごい土煙をあげてその畦道の様な直線を進んだ。生簀の水はどれも何故か全く透明度の無い泥の色の黒さをしていた。この直射日光の中、池の水はいったい何度なのだろうか。これではエビの強制収容所みたいだと感じてしまった。すると今度は水の全く無い生簀を見つけた。見渡すと5個に1個の生簀に水が無かった。そのひび割れした底までは2m程で上より少し狭くなっていた。遠くを見ると200mほどの向うに垣根の様な細く低い立ち木の緑が並び、その奥に大きな川の水が見えた。車が更に進むと土と泥水池しかないと思ったその正面奥に木造の仕事場があらわれた。そして車はその土間のような入り口の前に停まった。 車から降りると太陽が異常なほど明るく暑い空気がめらめらと燃えていた。殺伐な風景にぴったりのかなり安普請の木造二階屋をまず眺めて中を窺った。中は薄暗く人気も無かった。改めて外を眺めると、ここは人もいない 動物もいない 鳥もいない 草木さえ無かった。生簀でエビ作る為それ以外の何物は全く無さそうであった。あまりの単純さに多少欲求不満を感じてきた。 モアイの男はよく響く声で近づきリチャードの義父と中国語で話を始めた。簡単な紹介をした様子で私と目が合い、お互いに目で挨拶をした。それっきり、また2人はリチャードも加わって何事かを話しこんでいた。特に無視された気はしないが、お互い言葉がまるっきり通じないので、なかなか彼らとの距離を近づける事が出来なかった。しかたがなく本当にここには今見ている景色以外なにもないのかと思いその辺を歩いて建物の裏に回ってみた。すると建物の裏も生簀がありその後ろに意外なほど間近に大きな川か湖が迫っていた。その水が泥水で無く、又ほとりにはマングローブが生い茂っているのを見つめると、少し心が和む感じがした。ほどなくリチャードが近づいて来て「この川から親エビを獲って、生簀に入れるのです」と説明し始めた。彼の説明によると、この辺りは河口付近で汽水域になっているらしい。そしてあのマングローブの下で自然のエビはいつでも取れるらしい。
「この生簀に入れて自然繁殖させて、5ヶ月経つと皆手のひら代の大きさに育ち出荷されるのです。」リチャードは手馴れた旅行ガイドの様に説明を続けた。 陽射しが暑く又建物の前に戻ると、車の辺りにモアイ顔の男と義父が待っていて、土間の外の簡素な椅子とテーブルのある場所に案内された。吉津張りの感じで日よけになっていて、少し風も感じる事が出来た。それからモアイの男は反対側にある、ちょうど日本の氷水を売る屋台の様なところに置いてあった大きなプラスチックのアイスボックスから、缶ビールを4個取り出して無造作にテーブルの上に置いた。「どうぞ」と言う感じで私を見て赤銅色の顔がはにかむ様に笑った。 義父の紹介で改めて挨拶をし、お互い名刺を交換した。彼の名刺には一番上に赤い中国語で「○○重型機械工程」とあり、Manjung Heavy Machinery & Constructionと英名があった。何だこの会社名はと思った。その下に名前は陳春暖とあり続いてDing Choon Nuan(Agogo)とルビの様に印刷されている。Dingさんでニックネームがアゴゴなのだろうか?住所と電話番号の下に横線があり、その下に又赤い中国語で「虎蝦繁殖業」最下部にOur Business are Mainly Aquacultureとあった。つまり重工業の名前ですが、本当はえびの養殖業ですと名刺で説明していた。いったい何故こんな重たい名前を変えずにいるのか不思議な気がした。そして目をあげると、又優しそうな笑顔が「解ったか?」と言う感じで私を見つめていた。さて彼のことをなんて呼ぼうかとかんがえた。アゴゴと言ってもいいが、この風景同様に殺伐な感じがした。それで「Dingさん」とでも言ったのだろうが、でもここでは彼のことはモアイさんで通そう。

(モアイさん)
暑さと泥水池の傍で我々4人は椅子に座りビールの蓋を開けた。その時無人と思っていたその建物からぞろぞろ5人の男達が出て来た。皆白っぽいTシャツを着て半ズボンを穿いてサンダル履きであった。彼らは昼寝でもしていたのだろうか、ボウとしたままどこに行くわけでもなくじっと私達の傍に立っていた。皆浅黒いインドネシア人でこの建物の2階に住み込みで働いている出稼ぎ労働者との事。その後更にモアイさんそっくりの20歳代の中国人とその奥さんらしい若い女性まで子供を抱いて現れた。モアイさんの長男家族との事であった。手品師が突然7.5人を現した様で、いったいこの建物の何処にいたのか不思議でならなかった。 モアイさんは年齢50歳台後半、リチャードの義母の姉の子供になるらしい。リチャードとは従兄弟なのか他人なのかとちらっと考えた。そのモアイさんは見事な漁師の潮焼けで、体の露出部分は何十年もかけてゆっくりゆっくりと焼たせいか、全くシミもほくろも全部赤銅色であった。半ズボンからはみ出した両足は贅肉が無く、両腕同様肉食動物のそれの様に筋肉が浮き上がっていた。彼は真っ白い歯を見せて一所懸命に何かをしゃべり始めた。その彼の豪快で表情豊な中国語をしゃべるしぐさを見ていると、人柄は悪くないどころか単純明快そのものなのだが、そのためかデリカシーと言おうか飾ると言うかが全くないのだと思わざるを得なかった。素の人間とでも言うべきか。 突然リチャードが聞いた。「あれ、さっきから思っていたんだが、モアイさん(実際はそういわなかったが) 又車を買え変えたの?新車じゃない」「そう。だが違う。前のあれは盗まれてしまったよ。」「え!どこで?」「ここさ」「いつ?」「2週間前よ。生簀を見て戻ったらもう車無かったよ。」「どうして、だれも気がつかなかったの?」「そう、誰も解らなかった。」又不思議な気がした。確かあのゲートからここまで200mはある。その間1本道、横は池、改めて見ても木も草も何にも無い。それどころか音も無い。動くと土煙が酷い。盗る方も相当難しそうであるが、盗られる方も時代離れした話だった。ご当人には失礼だがまた少し気持ちが和んできた。リチャードも呆れ気味に「じゃあ、今の車も気をつけなくちゃねえ」と言うと、「解っているがさ、でもどうやって気をつけるんだよ。鍵を壊してゲートを破って持って行ってしまわれたら手のつけ様がないだろうがなあ。」モアイさんはビールを飲んで口をへの字に曲げた。
私も冷えたビールを飲んでから、やっとリラックスして少し聞いてみたくなった。「モアイさん、ところで1つの生簀からどの位エビが獲れるのですか?」私の質問はリチャードかその義父によってモアイさんに伝えられた。「そうだなー、はっきり決まんねんだよなあ。あそこのマングローブから親エビを獲ってくる時、つまりメスが多いと1トン、オスが多いと800kgから900kgだなあ。オスメスの区別か?それはそん時には判らないんだなあ。」天敵のいない生簀で産卵した卵は全部エビに成長すると解ってきた。「漁獲量は1年中いっしょですか?」「だいたい1つの生簀で年二回と決まってるんだよ。」 「ここは年中気温の変化がないから、いつ獲ってもエビは必ず5ヶ月で売り物のサイズになるだ。もし6ヶ月目にしてしまうと大きさが28から30cmになって、値ががくんと下がってしまうんだ。」私はエビの売値を聞いた。「20年間最低がRM20/Kgで最高値がRM40(1200円)を越えたが、大体RM36-37が相場かな」「本当に日本に輸出を考えていますか?」「そうだな、今まではマレーシアの地元だけだったが、わしらはリチャードが日本に出したいなら、いつでも、幾らでも供給してやるつもりだ。わしの生簀は現在43ある。しかしこの地域全体では1100の生簀があるから心配ない。だから幾らでも注文を取って来てくれても、全く心配ない。」 (エビ昼食) リチャードの義父が何か言った。するとモアイさんは1番若そうな男に指示をした。男は建物に入って投網を担いで戻って来て、そのまま建物に1番近い生簀の中に無造作に入って行った。暑い日ざしの中へ我々も続いた。水の深さは男の腰あたりしかなかった。そしてほぼ中央部に歩み寄ってから、男は小さく投網を投げた。網は泥水に沈み直ぐ見えなくなった。男はほぼ垂直になった網をゆっくりと引き上げていった。すると直ぐ網の目の中に沢山のエビが上ってきた。少し青みがかった灰色の体に背中から尾びれまで黒い縞が順序よく並んでいた。男はそのままで生簀から出て、地上に置かれたたらいの上で網をゆすった。エビがぽたぽたと落ちた。それを他の男がすばやくバケツの中に入れた。のぞくと100匹位型の揃ったエビが跳ね回っていた。バケツはモアイさんに渡された。リチャードが「では近くのレストランであのエビを料理してもらい試食してみましょう」と言った。 リチャードの義父はモアイさんの車に同乗した。私はこの暑さとこの風景から逃れられると思うとほっとした。 2台の車は元のゲートまで戻り、モアイさんは2重の鍵を開けた。そこから緑が鬱蒼とした舗装道路を15分位走り、空き地の様な土の駐車場に停まった。
既に数台の車が停まっていた。何となくここは海鮮レストランだなあと思う様な平屋の建物に向って歩いた。モアイさんは大きな足取りで古い農家の母屋の様な調理場を抜けて、横のプレハブ作りの建物の中に入った。そこは空調された部屋で、中はそれぞれに椅子が4つほど付いた10脚位のテーブルだけあった。赤いクロスが敷いてある。あとは玄関と窓が2つだけの食堂だった。飾り気の無い部屋を見て又さっきの養殖所で感じた殺伐感が戻ってきた。その簡素さは生簀と土のそれと同じだった。 モアイさんはその1番奥のほうに座ると、我々に付いて来た従業員か責任者か判らない男にエビの入ったバケツを渡した、男はどう料理するのかと聞いた。まずは定番の蒸しエビを私が頼んだ。 じつは東南アジア駐在のほとんどの日本人はこの蒸しエビを「うまい、うまい」と食べ続けて、だいたい1年後に食傷気味になり以後食べなくなる。その後も食べるとうまいことはうまいのだが、せいぜい1個か2個で充分になってしまうのだが、この食べ方がエビの素の味を教えてくれる。ところが中国人は食べ飽きないらしい。海鮮料理では必ずと言っていいほどこの蒸しエビを食べる。 あとは皆で相談しエビフライとエビ入り五目野菜を頼んだ。頼み終わると、モアイさんは残りのエビは店で使ってくれと言った様子であったが、しかし男は別に礼も言わず引き下がった。 食堂の中央部に中国人家族が5-6人で食事を終えたところであった。後はカップルの客が1組だけであった。又ビールが出た。喉を潤しながら私はさっそく疑問に思っていた事をモアイさんに尋ねた。「モアイさんエビの養殖で重要なのは何ですか?」「普段は綺麗で栄養のある水と空気を送り込んでやることだなあ。そしてまず要注意は病気だね。恐ろしいのはインフルエンザだ。」「大分黒い水ですが水質は大丈夫ですか?」「いや、全く問題ない。あれはすぐ横の汽水域の水だから、あんな色をしている。第一あんまり水が澄んでいると、エビの隠れ場がないだよ。」 やがて蒸しエビが運ばれて着た。細長いアルマイトの皿に20匹位が山盛りになっていた。 中国人の食べ方は赤唐辛子入り魚醤であるが、日本人は中国醤油に青唐辛子の酢漬けをエビにつけて食べる。
だがここの店の蒸しエビはいままで食べた中でもっとも身が硬かった。理由は茹ですぎなのか、身が入りすぎているのか、又その両方か?リチャードが「私は普段エビを食べないが、あそこに行くと 美味いから食べるのです。」と言ったのはこの店なのか、それとも彼の義母の手料理のことか。私達はシリコンゴムの様なエビを喰いちぎった。 エビフライも五目野菜もこの店の雰囲気通り飾り気の無い味であった。やがて氷が一杯に入った私のジョッキーに又モアイさんがビールを注いだ。泡が勢い良く溢れた。それにしても何かが足りないこの雰囲気、「リチャード 椰子酒はどうなの?」やがて店員に聞いたリチャードは残念そうに「今日の分はもう売り切れだそうです。」

(カニの夜逃げ)
リチャードが言う「エビを収穫した後、底にカニが沢山いて、そのカニの処分はモアイさんの従業員の自由にまかしているのですよ」私は聞いた。「モアイさん なぜカニは売らないのですか?」「わしはブラックタイガー養殖業者で、カニはやらない。第一マレーシアでカニの価格はエビより安いから。」 モアイさんが聞く「日本人も良くエビを食べるのかね?」「そうです。世界で1番多くエビを輸入しているのは日本だそうです。」「どうやって食べるのかね?刺身かね?」「そう時々」「寿司かね?」「寿司じゃないなあ。一番は天麩羅とフライかな。でもモアイさんよく知ってるね。」「いや、この間リチャードの所に遊びに行ったとき、彼にクアランプールの日本食レストランに連れて行ってもらったから。」「気に入りました?」「そう、美味かった。でもあれが最初で最後。」「モアイさん 実は日本人はエビよりカニの方が好きで、カニも有望ですよ。」「日本でカニはどうやって食べるかね、刺身?」「刺身はあんまり」「寿司かね?」。 モアイさんには生で食べる事が相当不思議でインパクトがあったらしい。 海鮮料理で最高の味は「カニのチリソース」であると思うのだが、その石の様に硬い甲羅のカニをなぜ商品かしないのか不思議に思った。エビよりはるかに高く売れるはずである。
すると「佐藤さん、ここで底に溜まるカニは小さなカニばかりで、せいぜいスープにでもしないと食べられる代物じゃないのですよ」リチャードは説明した。「リチャード、なぜあの大きいカニはここで捕れないの?」リチャードはそのままモアイに聞き直した。 「捕れるさ」モアイさんはゆっくりと答えた。私はのりだした「あの生簀でもあの大ガニはいるんですか?」モアイさん「いるにはいるんだが、みんな逃げてしまうんだ。」 それから聞いた話は何とも不思議な話であった。 「汽水域で親エビを獲っていると、必ずカニの卵か幼虫が混じり込んでしまうのさ。でもカニはでかくなると、ひとりでに生簀から出て元の汽水の海に逃げてしまうのだよ。習性なんだな。それも深夜。捕まえる?いいんだよあいつらカニだから。ほっとくのが1番いいのさ。捕まえるたって、そりゃ無駄だな、第1人気や動物がいるとカニ出てこないし、出ても直ぐ生簀に戻ってしまう。ずっと人間が寝静まるの待っているんだよあいつらは。賢いから」。思わず笑ってしまった。漁師が自分の生簀にいるカニの海への逃避を黙認しているのは何故か?本性では殺戮を嫌う人間とカニとの暗黙の了解が出来ている様で面白かった。 生簀の中で安全と栄養たっぷりで育った大きな鋏を持ったカニ達が深夜、ぞろぞろと生簀から出て危険な海に進む姿を想像してみた。故郷へだろうか?カニにはどんなDNAか遺伝子があるのだろう。人もおなじだろうか?              (おわり)