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『富士見―「アララギ之里」と「旧サナトリウム」』 
『ページ 1』
寄稿 : 佐々木 行(ささき すすむ)さん

左:夢二記念館 右:富士見駅

一.富士見駅

JR中央本線を甲府から更に西へ約五十キロメートル、八ヶ岳連峰を右手前方に見ながら長野県に入り、二つ目の駅が富士見駅 である。改札口の左横手、丸い柱にはめ込まれた縦二メートルほどの古い看板には「アララギ之里、標高九五六米」という大きな文字、その上の説明板には次のような解説が付されている。  「富士見町はアララギの歌人たちに愛され、しばしば歌会なども開催されていました。アララギを主宰した伊藤左千夫が自ら設計した富士見公園 (原の茶屋区)には、島木赤彦、齋藤茂吉などアララギ歌人の歌碑が数多くあります。「高原のミュージアム」には、アララギゆかりの歌人たちの資料を常設展示しています。 富士見町」

二.富士見の名が登場するのはー

○ 『山恋ひ』

 「私達を乗せた汽車が飯田町の停車場を出たのは夜の十一時であった。……(略)……。汽車が甲府を通るときもまだ夜が明けなかった。……(略)……その時、丁度汽車が止まったので、もうどの辺だらう、と半分独言ちながら、窓の外を覗くと、「ふじみ」と認めた白い札の傍に、海抜三千百三十五尺と書いた棒標が立ってゐた。」 宇野浩二のいわゆる「諏訪もの」或いは「ゆめ子もの」と呼ばれる作品群のなかの中編『山恋ひ』(発表 大正十一年八―九月)の書き出しの部分である。この旅行をきっかけに主人公・「私」はある女性に逢うためにしばしば諏訪を訪れることになる。

○ 『月よりの使者』

 「富士見高原の秋は日に日に深くなっていった。ことにそれは、ここの日光浴をする療養所の人たちにとって痛切に身にしみた。……(略)……」  久米正雄の長編小説『月よりの使者』(発表 昭和八―九年)の冒頭個所で、ここのサナトリウムに働く美貌の看護婦と入院している男患者との恋愛物語である。 雑誌「婦人倶楽部」に連載中から評判になり、映画化されて大ヒット、その後二度リメイクされた。

○ 『竹久夢二の墓碑』

 画家・詩人の竹久夢二は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園に眠っている。墓碑横の標識には、「……昭和九年九月一日信州の富士見高原療養所で結核により死去した。おくり名は竹久亭夢星楽園居士……」と書かれている。  夢二は、三年にわたるアメリカ・ヨーロッパの外遊中に病を得て帰国。交友関係にあった高原療養所の院長・正木不如丘(ふじょきゅう)の配慮により、その療養所に入所して手厚い看護を受けたが、恢復することなく、七ヶ月後に没した。

○ 『風立ちぬ』

  「汽車は、いかにも山麓らしい、物置小屋と大してかわらない、小さな駅に停車した。 駅には高原療養所の印(しるし)のついた法被(はっぴ)を着た年とった小使いが一人、私達を迎えに来ていた。……(略)……八ヶ岳の大きなのびのびとした代赭色の裾野が漸くその勾配を弛めようとするところに、サナトリウムはいくつかの側翼を並行に拡げながら、南を向いていた。」  堀辰雄の小説『風立ちぬ』(発表 昭和十一―十二年)の一節で「私達」とは語り手の」私」と婚約者の「節子」のことで、節子は療養のために「F」療養所に入所、「私」はつきそいの形で同時に入所、二人のサナトリウム生活が始まった。そして節子は……。 。

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