火焔樹の下で (No-1)    

2003年4月

寄稿 : 佐藤之彦さん 於:Singapore


「No. 2」「No. 3」「No. 4」「No. 5」 「No. 6」「No. 7」「No. 8」「No. 9」「No. 10」「No. 11」 「No. 12」「No. 13」「No. 14」
  

(クレメンテイ-)
3月下旬、明け方からの雷雨が上がり日差しが戻って来た日の午前。島西部ジュロンからバスに乗った。午前10時、たった今雨が上がったばかりなのに既に30度を越えた様子であった。しかしExpress502の2階建て路線バスの内部はエアコンがよく効き涼しく清潔で快適であった。時間帯のせいか客もちらほら、バスの上階に登り濃い緑の並木を眺め続けた。20分過ぎバスはクレメンテイ-の駅を過ぎて左に曲がり停まった。バスを降りてから都心に向うバスを見送る様にして道の反対側に渡った。そして言われた通りの道順で歩き始めた。むっとした熱気が体を包んだ。白いペンキが塗られた高層のアパートが立ち並ぶほとりを歩が、空間だけは広く取ってあり窮屈さは感じない。やがて濃い茶色に塗装されたコンクリートの4階立てのアパートが現れその壁に354の番号が見つかった。1階が全て店舗でそのアパートはコの字型に長く続いていた。最初の角の店は観賞魚の販売店でそこからアパートの軒先を歩いた。2階からがせり出して屋根となった部分はわずか両手を広げた位の幅そこをゆっくりと小店をのぞきながら歩いた。ビデオ屋 牙医(歯医者) パン屋 雑貨屋 床屋はマレー式と髪結いと普通の店 人体図が異様なマッサージ店 電気店等々、遠い昔日本にも沢山あった路地裏の匂いがなつかしく思い出されていた。やがてスーパーで角を曲がるとクリニックがありマレー式ドレメ兼即売所と額縁製造販売に薬屋と途切れることなく続いていた。そしてほぼ中央の仏具屋の手前に階段がありそこを上がった。登るにつれて電気ドリルで何かを掘削する音が聞こえて来た。階段は4つ折れしていきなり3階の廊下に出た。3階の廊下は左右にそれぞれ2つのアパートがありそこ以外の何処にも行けなくなっていた。ドリルの音が煩く他の全ての音を遮っていた。外は1m位の高さの壁だけですぐ長方形の芝生が大きく広がっていた。その後ろはそれよりもはるかに広い野外駐車場になっていた。真中に大きな木が5-6本植えてあり、数台の車がその木陰に隠れる様に駐車していた。その駐車場の奥は緑のドーム型屋根を持ったモスク(回教寺院)であった。モスクの前は少し小高くなった芝生に覆われ、その芝生が美しく輝いて畝っていた。 階段左側の手前の家からガ-ンと言う音と一緒に薄いほこりの雲が廊下に流れ出ていた。 多分この家だと思い開かれたドア-から中をのぞき見た。若い左官屋がのろのろと動いていた。よく見るとまず部屋に置かれた梱包されたまま2個の座式トイレが目に入った。それからソファーと椅子更にタイルと砂の山があり、ドリルの音はその奥の別の部屋から聞こえていた。左官屋と目があったが、彼はそのまま足元の資材に目を移し仕事を止めなかった。煩くほこりっぽく更に暑そうで中に入る気はせず、又反対側の外を眺めた。するとその時ドリルの音が止まり、中から甲高い女性の声が響いた。何か怒っている様子で語気が鋭い。そしてそれに対応する様に弁解めいた男の声も聞こえた。女性の声がこちらに近くなる気配がして、ドリルが又唸りだした。又家の中をのぞくと、想像したよりもはるかに小柄で華奢な女性がTシャツの半パン姿で現れた。そして私を見るとニコッと笑い、腕時計で確認しなが廊下に出て来た。 「ハイ ミスターサトウ?」うなずくと自分をドリスと自己紹介した。この家のオーナーで私がこの家に住むことになっていた。 「ここは煩いから、下のコーヒーショップに行きましょう」と言って、ドリスは又家の中に入った。暫くしてドリルの音が止み、彼女の怒鳴る声が響き、我慢できず男が大声で怒鳴り返した。怯まず女性は更に声が高くなる。男がやけくその様に呪いの言葉を吐く。その言葉が終わらないうちにドリスはすっきりした顔つきで戻って来た。「さあ今日はこれでおしまい、行きましょう」と言って、ソファーの上から小さなリックサック型のカバンを取り上げた。ドリルの音が戻って来た。よっぽど頭に来たのか、ドリルの音に混じって男の怒鳴り声も聞こえた。

(イボンヌ)
2月にこの国に来て、数日間ホテルで過ごした後、昔いた会社の現地会社社長宅のマンションに飛び込んで既に2ヶ月になろうとしていた。この間会社の登録から居住ビザと就業ビザを申請して認可を得るまでいやと言う程時間が必要であった。それらも現地会社の責任者をしていた当時、たまたまアルバイトで雇った当時この国唯一の総合大学の女学生だった女性が偶然にも助けてくれた。 およそ彼女イボンヌとは10年ぶりの再会であった。彼女は卒業し総理大臣府の官僚となったが、人間関係に嫌気をさして、官僚を捨て大学に戻って大学院の修士課程を卒業、いよいよ博士課程をねらった試験がたまたま終わったところであった。既に2児の母親でもあった。現在は結果を待ちながら、週に数日金融街の外国人駐在員にこの国の環境問題を教える講師をアルバイト的にこなしているだけで、後は5歳と3歳の子の育児をしていた。 その彼女の親切心に助けられて、全ての申請書類の作成から役所との交渉(と言っても、認可の時期を聞くことが主であった)からパソコン インターネットの立ち上げや携帯電話の登録(全て売買契約等は居住ビザが無ければ契約の当事者にはなれない為、全て彼女名義にした)をお願いした。打ち合わせは場所が無いため全て彼女の自宅を訪ねて行った。自宅は6階にある公団住宅は3LDKで200平方mと広いが、節約は中国系シンガポール人の最も好むところで、どんなに暑くても寝る時と子供の昼寝以外はクーラーを点けない。 イボンヌは小柄ではあるが非常に快活で物怖じしない。一方彼女の亭主は建設現場の検査員とのことで、彼女とは反対に100kgの無口な大男で、帰って来るとほとんど直ぐ短パン一丁になって寝転んでしまう。問題はイボンヌの子供達で、性格は両方ともイボンヌの性格を100%遺伝しており凶暴に近い。兄は自分を恐竜だと思い込みたくて、やたら噛み付いてくる。妹は何故か不意打ちが好きで油断すると頭突きを仕掛けてくる。特に兄の攻撃に疲れてくる時期に座っているソファーの背もたれを伝わって体を私に向けて落下されると、痛いよりも暑苦しくてヘキヘキになってしまう。 ある日イボンヌが問うてきた。「Sato-sanは、住まいはどうするの?」私「決めたいが、ビザが出ないことには如何し様も無いね」イボンヌ「予算は?」私「目下ジョブレスだから何とか安い所を探したいね」イボンヌ「私の母親が古い公団アパートを持っていて、そこは現在中国本土から来た夫婦者に貸しているの。でも色々トラブルがあって母親は契約を打ち切って、他の人出来れば日本人に借りてもらいたいらしいの」私「場所は何処?」「クレメンテイ-よ、知っている?」 ドリスはイボンヌの母親であった。イボンヌには姉がおりスエーデン人と結婚しそちらに住んでいる。

(マーガレット)
ドリスに誘われてコーヒーショップなる所に行く。そこはシンガポール人の生活になくてはならない集合飲食街で、この辺りの住人全てが3食を満たす場所であった。沢山あるテーブルの1つに座ると直ぐに飲み物の注文取りがやって来た。二人でコーヒーを頼むと、ガラスのビールジョッキーにコーヒーを入れて持ってきた。 家賃の話や入居の時期を話していると、大粒の雨が突如降ってきた。野外に座っていた人々が屋根のある部分に移って来て満席に近くなった。雨脚は豪雨になった。さっきまでのドリルの音に負けない程の音を伴っていた。ドリスは私の声が聞こえなくて盛んに「何?何?」と聞き返してきた。会話を諦めて雨脚を眺めていると、赤いワンピースの女性が傘をさして私達の前に現れた。ドリスの妹のマーガレットと紹介された。こちらはドリスと違いすっかり中年の肉付きであった。 3人で昼食をとると、ドリスは菜食主義者であった。姉妹は一生懸命何かを話し込んでいた。やがてマーガレットが説明してくれた。 「4月は中国人にとって先祖を敬う月で、家族全員で死んだ両親の墓参りをしなければならないの。でも最年長のドリスが色々気を使うもので、日付けが決まらないの」ドリス「実はね、私達には長女の姉がいたの。でもその姉が自殺してしまってから色々難しくなってしまってねえ」と妹の顔を見た「弟達や姉の子供達は今でも姉の事を怒っていて、姉のところに行くなら一緒に墓参りはしないと言っているの。それで私が1人で先に姉の墓に参ってから、ドリスと一緒に両親の墓に行き皆と落ち合うしかないなと決めたの」ドリス「このサーズ騒ぎが収まったら、私は直ぐにスエーデンに行くつもりなのでどうしても4月上旬に墓参りを済ましたのだけどねえ」 私「中国の墓と墓参には興味ありますねえ、私も連れて行ってくれませんか?」

(墓参り)
4月の最初の日曜日、私はまたクレメンテイ-の家に行きそこでドリスと落ち合った。時刻は午後4時であった。「暑いからね、墓参は6時頃にしたの。これから姉の次女の家に行きそこで車を借りることにしたの。Sato-san運転出来るでしょ?私も妹も一応免許は持っているんだけどねえ。運転してくれない?」 その次女の家は島の中央部、喧騒が全く聞こえない高級住宅街の一軒家であった。木立に覆われた家の敷地にはBMWと三菱の車が2台駐車していた。呼び鈴を鳴らすと若い女性が現れた。更に彼女の子供を抱いたインドネシア人のメイドも現れた。彼女の夫は現シンガポール国首相の長男で医学博士との事。家の中にはその亭主がくつろいでいた。 やがてマーガレットもやって来ていよいよ3人で墓参りに出発した。都心から離れた島の西北部に広大な墓地用地があり、マレーのイスラム教徒用 キリスト教徒用更にもっとも広い中国人用の墓地があった。その入り口に1台の乗用車が待っていた。携帯電話で到着を連絡したのかその車は直ぐに動き出した。その後を追いかけて広い墓地を数分走った。やがてある場所に停まると中から3人の男性と1人の女性と小学生位の娘が降りた。手に手に沢山の袋を持って皆がある方向に向けて歩き出した。こちらの姉妹も大きな紙袋を持っていた。墓は密集していて、ほとんどは1m角位の大きさだった。その1つに到着すると皆で墓の掃除を始めた。墓には老女の小さな写真が印刷されていた。雑草を取り枯れた花を捨ててから、水を含んだ雑巾で墓を洗い、その前に祭壇を作り果物や食べ物を並べた。更に近くの焼却用の鉄箱を運び、そこにイミテーションのお札を燃やして入れた。その作業が何度も何度も行われた。やがて年長の男性から順次墓の前に立ち、長い線香を立てて何度も頭を垂れて祈祷した。その後女性が続いた。一連の行事が終わりかけた頃、その年長の男性が話し掛けてきた。雑談の後、ここは母親の墓で、これから父親の方にゆきますと告げた。この国のシステムとしてお墓の予約が非常に高いため、大抵は夫婦別々に埋葬されると知った。その時この墓地は全て土葬なのだと知った。 改めて墓に刻まれた文字を読むと白門鄭氏とある。鄭さんの娘さんが白さんに嫁いだのだった。この国は夫婦別姓で子供は父親の姓となる。ドリス家もドリスは白(ペイ)で娘のイボンヌは王(オング)で孫は陳(タン)となる。 今度は父親の墓に行った。母親より20年前に逝った父親の墓は大分古ぼけていた。墓には誕生の年月が記載されていなかった。白さんの波乱万丈の人生が彷彿された。最後の業が終わり車に戻るため歩いていると、マーガレットは話した「父にはもう1人奥さんがいて、娘がいるの。母親が生きている間は決して行き来できなかったの。でも今日はドリスがここに来る様に言ったが、やっぱり来なかったのねえ」。 暑い日が終わろうとしていた。よしクレメンテイ-の住もうと決めた。 遠く太陽の沈む高さに火焔樹の赤い葉が燃えている様であった。