写真は一部寄稿者のものではありません。

縄文住居
『縄文から学ぼう』 
『ページ 1 縄文 三内丸山遺跡』
寄稿 : Mr. Tom Ito
『ページ2 縄文と翡翠と三種の神器』 『ページ3 韓国~日本との繋がりを訪ねて』 『ページ4 縄文の勾玉を追って〜前方後方墳』


念願であった三内丸山遺跡を見て来ました。三内丸山遺跡は青森飛行場からも新幹線新青森駅からも近い場所にある日本最大規模の縄文遺跡です。







今から5,500年前~4,000年前の縄文時代の集落で、長い間にわたり定住生活が営まれた遺跡です。 三内丸山遺跡の発掘と研究で狩猟採取であった縄文人が1,500年にわたり定住していた事が分かり、縄文のイメージを変えました。 栗の木を植林し、最盛期 500人が住んでいたと言われています。 平均温度は今より3度高く暖かく、海面も高く、間近に青森湾がありました。 案内ボランティアの案内で住居跡、6本柱などを見学して展示館に入ると数多くの土偶、土器、装飾品などが展示されています。 三内丸山時代の土偶は縄文時代後期の遮光土器の様に立体的な土偶ではなく、平面的な土偶です。







土偶は全て女性を表しています。男性の土偶は作られていません。乳房、ヘソ、妊娠線が描かれています。土偶は予め割ることを前提に作られ、分割し、別々な場所に埋められています。土偶は何度見ても背筋が寒くなる程感動します。 出産で死ぬことが多い時代です。親子が無事に出産できるように祈り、土偶を捧げ、割り、埋葬したと思われます。縄文時代の家族愛を感じさせます。 お墓を見ても親の深い愛を感じます。 子供はカメに収められて埋葬され、母の体内に戻る様に住いの近くに埋葬されています。大人の墓は精霊の世界に行ける様に住いから離れた場所にあります。






縄文時代の大きな特徴は土器です。 彫刻家の岡本太郎が縄文土器の芸術性を紹介し縄文土器が有名になりました。
土器は食生活の革命児です。 煮炊きができるようになり、繊維質の植物、スジ肉など食べられる様になりました。









土器を使い始めた初期から縄目模様、貝殻文様を施し、ほぼ100年毎にデザインも変化し、縄文中期には火焔土器の様に複座な文様を施した土器も生まれました。 土器に施された文様、造形は使う上での機能性はありません。むしろ使う上で邪魔です。縄目模様は脱皮・再生し生きていく蛇を表していると言われていますが、土器の文様・造形には命の再生も含めた縄文時代の人々の祈り・願望・食べ物の感謝を感じます。
縄文時代には流通網ができていました。三内丸山に新潟県糸魚川市からヒスイ、黒曜石は北海道、琥珀は岩手県から運ばれていました。縄文の行動力を感じます。 又 縄文時代は女性が最もオシャレをしていた時代のようです。 縄文時代の遺骨が発掘されると、調べなくても女性の遺骨は分かります。首飾り、耳飾りや腕輪をつけているから分かります。入墨もしていたようです。 皆様もぜひ土偶・土器を見て下さい。三内丸山遺跡まで行かなくても東京上野の国立博物館で見られます。感動します。
13,000年前から2,300年前までを縄文時代と呼ばれ現在の我々が想像する以上にゆとりのある豊かな生活をしていました。8,000年前に黒潮が日本海に流れ始め多くの雪を日本列島に降らし世界で最も豊かな自然が生まれました。 縄文中期と言われる5,000年前頃は平均温度が今より3度高く自然に恵まれた。 縄文は大昔に原始的な生活をしていた人々が稲作を始めた弥生時代から豊かになり日本人の原点と思っている人が多いです。間違いです! 現代人のDNAの20~30%は縄文人のDNAで、このDNAが他のアジア人と比べ日本人の違いを生んでいます。